第2章 国際価格と需給体制の変化


2.1.国際市場価格の変遷

==実質価格でみることの重要性==


 コメを含めた穀物の近年の国際価格は1990年代初期に比べ相対的に値上がりしている。このことが一般社会に心配のタネとして存在している。マスコミでは近年のこの価格の上昇を"暴騰"と表現したこともあった。しかし、ここで価格の動きを過去30余年間にわたり冷静にみていきたい。近年の価格が1970年代の食料危機の時代の価格に戻った…など、とする表現がよくみられるがこれはあくまで名目価格でみたものにすぎない。ここで注目したいのは価格の動きを実質価格の変化でみること、そして次に消費者の実質所得(購買力)の変化でみることの2点である。

 まず実質価格とは長い年月で価格の変化をみる場合に物価上昇の分を考慮するということである。例えば同じ1万円であっても30年前の1万円の価値と現在の1万円の価値は同じではない。この間に物価は3倍余り上昇している。つまり、30年前の1万円は現在でみる3万円の価値と同じだったわけである。逆に現在の1万円は30年前は3千円ほどの価値でしかなかったわけである。

 このことを理解した上で、1961年から現在までの名目価格と実質価格をコメ、及びコムギについて表した図2-1-1及び2-1-2をみてみたい。これは、国際価格が米国のドル建てとなっているので米国における1993年の物価指数で価格修正したものである。これをみると名目価格では60年代は比較的安定して推移し、70年代で上昇。1974年の600ドル近い価格をピークに下降し、1980年前後に再び値上がりしたあと値下がり傾向となり、1994年に一つの山がある。この名目価格では結局のところ1960年代の価格に比べ1990年代は約2倍に値上がりしている……というような評価に陥る。しかし、これを現代の貨幣価値を基準にした実質価格でみると大きく異なる。1960年代の実質価格は現代の私たちからみれば1トン当たり800ドル前後の価格で推移していたわけである。最も高かった1974年には約1,600ドルという高い価格で取り引きされていたことになる。その後は急激に下降し、再び800ドル前後で推移したが、1982年から価格は低迷を続けた。1993年は300ドルと、史上最低のレベルに落ち、日本の緊急輸入が実施された1994年に400ドルのレベルへと、若干の回復をみた。しかし、その後はおしなべて下降線ぎみである。つまり、実質価格でみると国際価格は石油危機、食料危機、狂乱物価などで大変な時代であった1974年前後をピークに急激な勢いで国際相場は値下がりし、1990年代初頭の実質価格は1960年代のそれに比べコメは約3分の1にコムギは2分の1にそれぞれ値下がりしていることがわかる。1994年以降は上昇気運になってはいるもののその上昇分たるや、この30年余りのスパンでみるとわずかな上昇であることがわかる。この点で1973年のオイル・ショックやソ連のコムギ大量買い付けなどに端を発した、まさに国際穀物相場の暴騰に比べ、近年の相場の変化はゆるやかなものである。

 こうしてみると、時代を追って穀物の国際価格がいかに安くなってきているかがよくうかがえる。このことを踏まえたうえで近年のコメの国際価格の動きを月ごとに追ってみたい。図2-1-3はタイ産米の(100%グレードB)の輸出価格をみたものであるが、1993年5月には精米1トン当たり200ドルを割るという最低の価格を記録した。そして、日本がコメの緊急輸入を明らかにした10月から上昇し、翌年2月に400ドル近くにまで上昇したが、その後は急降下し、1994年6月には前年9月(緊急輸入の発表前)とあまり変わらない230ドルのレベルまで下がった。その後はインドネシアや中国で不足が生じたため、さらには日本のミニマム・アクセスの輸入も始まったことから価格は回復の兆しをみせたが、1996年2月に377ドルまで上昇したあとは再び下降線をたどっている。そして、1997年11月の段階では252ドルまで値下がりしている。

 次に消費者の実質所得(購買力)が過去と現在でどう変わってきているかであるが、つまり、コメ100kgを買うために年間所得の何%を当てなければならないか、そして、それが1960年代と1990年代とではどう異なっているかをみる必要がある。これは実質でみた経済力が成長すると共に消費者の購買力は大きくなる。

 図2-1-4はアメリカと日本の一人当たり国民所得についてドル立てで、しかも物価上昇を考慮した実質のものを過去30余年間にわたって表したものである。これをみると米国の一人当たり国民所得は1960年代前半の1万5千ドルから1990年代の2万3千ドルへと約5割の上昇を遂げている。一方、日本は経済の速い成長とともに円の切り上げもあり、ドルベースでみる一人当たりの実質所得の上昇率は、1960年前半に4000ドルだったものが1990年代初頭には3万ドルを上回り、この間に8倍の上昇率をみせている。先進国にみられるこのような傾向は近年、経済成長を遂げている多くの発展途上国においても同じことが言えるであろう。

 穀物の実質の価格は値下がりし、一方で一人当たりの購買力は上昇している。このことは穀物が近年においてどれだけ入手しやすくなっているかを物語っている。中国ではコメの値段が1990年から1995年までに名目上では約5倍に上昇しているが、それでも国内において目立った暴動が発生しないのは実質の価格上昇は名目上のそれに比べ約半分であり、一方で経済成長により購買力が増大していることが大きな一因であると考えられる。

 こうしてみると、一般消費者の購買力の増大により、市場価格が多少値上がりしても近年の消費者には数十年前の状況と比べてその対応力が強まっていると考えられる。また、今後の穀物相場は、世界各地で異常なほどの大災害が多発しない限り1970年代の暴騰を彷彿とさせるような価格の上昇は考えられず、せいぜい1995年レベルの価格で推移するか、もしくは下降線をたどっていくと予想される。

 さて、もう一つ加えたいことがある。それは生産流通技術の発展である。これは単収の上昇や、輸送手段の改善そして、情報伝達手段の改善など、供給サイドの全般的な技術が一貫して発展してきている。単収の増加や機械化で単位面積当たりの生産コストが減少。インフラの整備により流通コストも減少。このため穀物の長期間でみた実質価格の減少はまさに起こるべくして起こっているわけである。そして、さらに情報技術の発達で情報の入手が早くなり入手できる情報量も多くなっている。よって供給サイドの市場の変化に対する対応はより早くなっている。そしてそのような対応は国レベルの動きの遅い対応を待つのではなく個人のレベルで対応する状況に至っているわけである。アメリカで1996年4月に制定された新農業法(FAIR,後述)で国の減反政策を廃止し、作付け面積は各生産農家の裁量に任せるとしたことは、こうした広範囲な技術進歩により農家レベルで対応したほうがより早く、より効率的に対応できるとアメリカ国民が判断したためであると考えられる。こうした政策はかつてから米国内でも検討はされていたが、ここにきてようやく実現の運びとなった。

 生産量を農家の自由な裁量に任せると市場価格の変動幅がより大きくなると憂慮する見方もあるが、むしろ、市場価格は値下げの方向には動きやすく逆に値上がりの方向には動きにくいという現象がより鮮明になるであろう。それは生産者は市場価格の上昇に対してはいち早く反応し、増産体制をとるが、市場価格の値下がりに対しては対応が遅いという体質をもっているからである。価格の上昇の際に生産者がより早く対応するということは供給量がより早い時点で増えるということであり、よって市場価格の継続的かつ長期的な上昇は非現実的となる。また、自由に増産できることから一般に大規模で効率的な農家は増産し、よって市場価格は下降線をたどる可能性が強くなろう。

 近年の国際価格の上昇は1993年の日本の不作をはじめ、その後の中国やインドネシアなどの食料消費では大国の国々で不作が生じたことに起因している。また北朝鮮の食料不足も影響を及ぼしている。しかし、それにも増して、輸出大国であるアメリカで昨年産のトウモロコシが異常な悪天候で生産量は当初予定の3割減となったこと、さらに今年の冬にはコムギがやはり悪天候のため収穫面積と単収が共に減少し、生産量は1990年来の約20億ブッシェル(1995年産比で約5%減)に減る見通しが明らかになったことによる。主要な輸出国に異変が起こると輸入国に異変が起きた場合より大きな影響を市場に及ぼす。

 このような悪天候による影響は確かに予期しにくいものではあるが、決して目新しいことでもない。ただ、USDA(米国農務省)の1996年5月の発表によると1996/97トウモロコシ年度(9月〜8月)及びコムギ年度(6月〜5月)の期末在庫は前年度より増加する見通しであり、市場価格も今年秋頃からは下降線をたどるとしている。また、当然ながら1997/98年度の生産量は高めの市場価格が続く限り増産されることは必至である。さらに、アメリカ以外の国々でこの高値市場に活気が湧き生産量や輸出量が増える現象が発生している。世界のコメの今年の生産量は昨年の史上最高をさらに更新する3億7千9百万トン(精米換算)が予想されている。コムギにおいては昨年より8%も多い5億7千9百万トン、またトウモロコシは5億6千7百万トンと、減産となった昨年に比べ12%増、一昨年と比べても2%の増産となり、市場価格の目安となる在庫量や在消比率(在庫量を消費量で割った値)も改善の方向に向かいつつある。


2.2.世界のコメ生産量の変化


 世界におけるコメの生産量は戦後、一貫して伸びている。しかし、その伸び率は決して一定しているのではなく、図2-2-1にみるように時期的に変化がある。それは大きく分けて2つの要因がある。生産技術の発達、つまり、単収の高い品種が開発されることによる生産量の増加、もう一つはコメの価格が高くなったために生産者がより多くの利益を求めようとして生産量を増やす努力をすることである。この二つ目の点に関しては農産業も他産業と同じで、経営者としては利益が多くなるならば生産を拡大する方向に進むわけである。逆に、価格が低迷し利益が減少すれば生産量も減少することになる。ただ、その際に規模拡大で利益が維持できる場合はそのような手段をとる農家(農企業)も当然ながら表れてくる。

 1960年代の後半から1970年代の時期はHYV(high yielding varieties=高収穫品種)が盛んに開発されたこともあり、生産量は急激に伸びた。その後は上昇は続いたものの1990年代に入ると、とくに初期においては前節でみたように価格の低迷も影響し、生産量は伸び悩む結果となった。また、こうした価格低迷の時期には量より質に生産体制は変化し、生産量が減っても質の向上がはかれる品種が作付けされるようになる。そのようにして生産者も販売価格の高いものを生産することによって、自分の利益を獲得しようとするわけである。そうして、1994年には日本の緊急輸入でコメの国際価格は上昇し、その後は価格は一時値下がりしたものの、インドネシアや中国で不足が生じ、国際価格は再び値上がりした。しかし、これに触発されて生産量も史上最高を毎年更新する記録が続いた(図2-2-1)。コメ生産を含めた世界の農業はこれらの二つの要因が相互に絡み合って生産が継続されている。

 ところで、1960年代から現在までの世界のコメの生産量の変化をもう少し詳しくみることにしたい。表2-2-1は1961年から1995年までの35年間を5年間ごとに平均してみたものである。1960年代前半は1億7千万トン(精米換算)であったものが1990年代の前半には3億6000万トンへと、約2倍に増えている。また、この表には世界のコムギの生産量も表しているが、コムギも1960年代前半の2億4000万トンから1990年代前半には5億5000万トンへと同様な伸びを示している。

 この5年間ごとの伸び率でみると1960年代の後半(18%)、及び1980年代前半の伸び率(18%)がコメにおいては著しい。ただ、価格が上昇した1994年以降は単年度だけで1994年が2.5%、1995年が1.9%、1996年が同じく1.9%、そして1997年が0.8%という驚くほどの伸びを示している。一方、緑の革命がコメより一足早かったコムギは1960年代後半の伸び率は25%であった。

 次に生産面積の変化に注目したい。再びコメの図2-2-1とコムギの図2-2-2に戻ろう。世界の合計の生産面積についてコメとコムギで歴然とした違いがみられる。それはコムギの生産面積が毎年大きく増減しているのに対し、コメの生産面積はその増減が非常に小さいということである。コムギの生産面積は1960年代に2億ha前後であったものが大幅な増減を繰り返しながらも1980年初頭に2億4千万haにまで約20%増加した。しかし、その後は再び大幅な増減を繰り返しながら下降線をたどり、1990年代は2億2千万ha前後と、約1割の減少をみせている。毎年の増減の幅は極めて大きく、1968年から1970年の2年間の間に、2億2千5百万haから2億7百万haへと8%の減少をみせ、また、1994年から1996年の2年間には2億1千5百万haから2億3千万haへと7%の増加をみせている。

 これに対し、コメの生産面積は1960年代初期の1億2千万haから1990年代中期の1億5千万haへと25%の増加へとほぼ順調な推移をみせている。各年ごとの変化率も非常に小さく、多くても数%止まりである。また、減少しても1年間のみで翌年にはすぐに復活している。

 このようにコメとコムギでは生産面積の変化に大きな違いがあるが、これはコメがアジア諸国に集中しており、生産基盤もモンスーンを利用した稲の単一作型になっていることがその大きな要因としてあげられるだろう。その一方でコムギは畑作型で天候の変化により多く影響されることと、さらには欧米の発展国が多く含まれていることがあげられる。ここで、コメの最大輸出国であるタイの生産面積と最大輸出国であるアメリカのコムギの生産面積を示したのがそれぞれ図2-2-3及び図2-2-4である。タイのコメが1千万ha、アメリカのコムギが2千5百万haで、その生産面積に差はあるものの、タイのコメの生産面積が比較的なめらかであるのに対し、アメリカのコムギの生産面積は年ごとの変化が大きい。このことはアメリカのコムギ作が補助金をもって政策的に生産調整され、価格の変化に対応させている。反面で、発展途上国であるタイの稲作はただ農民の力にゆだね、例年の生産面積は価格の変動に対応できずに作付けしているという両国の経済力の違いを表しているとも言える。

 生産量の伸び率は単収と生産面積の伸び率から得られるものであるが、世界のコメの単収の伸び率は図2-2-5にみるように時代とともに変化がある。単収が価格の変化に影響されることはこれまでに多く報告されているが、前述のように価格が低迷すると単収の増加より質の向上に動くことが十分に察せられる。よって、1990年前後の低い単収の伸び率は天候の影響のみでなく、経済要因も大きいとみるべきであろう。

 ところで単収の点では世界最高のレベルであるカリフォルニア州の稲作の単収の動きをみると興味深い。図2-2-6に1953年から1997年までのその動きを示したが、この40年余りの間に大きな上昇をみせている。その伸び率は市場価格が低迷していた1990年前後も伸びており、また、1990年代は玄米で1ha当たり7.7トン(10a当たり770kg)のレベルを安定的に達成したとみられるほどである。このような早いスピードの伸び率が達成された背景には新品種の開発が常時行われていると同時に政策の点で助成金が質に関係なく量に対して行われているという点が大きい。カリフォルニアのコメ農家は価格が低迷した際の補助金も念頭に入れ、収益を最大に導く対策として良質米の品種を選ぶよりも多収穫品種を選択する傾向にある。

 重要なことはこのように量が重視される状況下では単収の伸びの限界は本当にあるのかと思わせるほど伸びるということである。ひところ、世界の農業の生産量は単収の伸び悩みで限界にきていると心配されたが、このカリフォルニアの単収をみていると経済的インパクトと生産者の努力により世界の農業の単収はまだまだ伸びるということを自ら示しているようである。


2.4需給体制の構造的変化


概況

 世界のコメの9割はアジアで生産され、かつ、消費されている。この比率は近年はほんの少しずつ少なくなりつつはあるが、基本的にはアジアが世界のコメの大半を占めていることに変わりはない。アジアの殆どの国においてコメはまさに主食なのである。

 ところが、このアジアの国々で経済の発展と共に食生活が変化し、一人当たりのコメ消費量が減少の傾向にある。所得の増加と共に消費量は増えるが、ある一定のレベルを越えるとコメの消費量が減っていく現象は所得弾性値がマイナスであるとして表現される。FAOが1960年代のデーターを使って計測した、各国におけるコメの所得弾性値のうち、マイナスを示したのは日本だけだった。しかし、その後の報告では日本だけでなく、台湾、タイ、南ベトナム等でDaly(1973),Chen(1980),Mann(1982)などによりマイナスの所得弾性値が報告された。そして、1989年にはIto, Peterson及びGrantがアジアの国々では、日本、タイ、台湾、マレーシアなどの国々ですでに所得弾性値はマイナスとなっており、さらに、現在はプラスの国々においても中国やインドネシアでは急激にマイナスに近づきつつあると報告している。また、HuangとDavid(1993)は経済発展に伴う都市化や農村から都市への人口移動(urbanization)がアジアにおいて一人当たりのコメ消費量の減少の要因となっていると強調した。さらにBouis(1991)はアジアのコメはかつての自給食料としての性格から現代では商品化した食料へと変化しつつあることを示唆している。そして荏開津(1994)は「動物性のDES(dietary energy supply=食事エネルギー供給量=国民一人一日当たり利用可能な食料をエネルギー換算したもの(同p.87))は、所得水準が高いほど多いけれども、植物性のDESは所得水準の中位階層でピークに達して、それよりも高い所得水準ではかえって減少するという傾向が見られる」(p.93)と強調している。

 これらの報告を総合すると次のようなことが言える。@アジアにおける一人当たりのコメ消費量は一人当たりの所得の増加と共に消費量は増えるが、ある一定のレベルを越えると食生活が多様化しはじめるため、コメ消費量はピークに至り、その後は減少してくる。A一国の経済発展と工業化は並行して進んでおり、同時に都市における労働力不足により、農村から都市への人口移動が発生する。このため、コメを大量に消費する自給的な農村的食生活からコメを購入する(よってコメの消費量は減少する)という都市的食生活に移行する。B農村人口が都市に移動することにより、残された農村在住農民は一人当たりの耕地面積が増え、また農業の機械化も進み、コメ農家にとってはコメはこれまでの自給的食料から商品的食料の性格を濃くしていく。このような状況は一夜にして発生する現象ではない。経済発展や情報技術が進むにつれて少しずつ徐々に変化していくわけである。

 一方、生産体制は60年代に国際稲作研究所(IRRI)で開発された高収量品種(IR5やIR8など)により、1970年代に入って、そのような品種が各国で導入されると同時に、生産量は急激に伸びていった(DavidとOtsuka, 1994;HazellとRamasamy 1991)。さらに中国のハイブリッド種の開発・普及も世界のコメ増産に大きく寄与した(XizhiとMao 1994)。また、工業化の進展で農業の機械化も進み、生産力は増大した。しかし、一方で前述した需要の低迷で、コメの供給は過剰基調で推移し、価格は一時期を除き、80年代の後半から実質価格でみる限り低迷を続けている(後の図2-4-1を参照)。そして、その影響で日本、韓国、タイ、中国などでは減反政策、または水田を他作物に切り換える動きが農業政策の重要な柱として浮上してくるに至っている。このことがコメ生産を主とするアジアの農村において、都市への人口流出とも大きく関係すると、容易に想像できる。ただ、都市への人口流出を批判的にみるのは控えたい。より多くの収入が確保されている限り、都市への労働力の流出は農民にとってベストではないにしても、相対的に歓迎されるものであろう。

 おりしも1994年のvon BraunとKennedyの著書「Agricultural Commercialization, Economic Development, and Nutrition」では、発展途上国における実態調査をもとに伝統的な農業に頼っている農家や農村では生活レベルの向上は遅く、商業(commercialization)的な手法が発展のカギを握っており、政府もその方向で農業政策を進める必要があると唱えている。商業的農法とはまさに価格の動き、生産コストの変化、そして所得の差を考慮しながら、作物や生産手段そして販売の手段を変化させていくことである。

 こうしてみると、アジアにおける農業生産の体制及び稲作は、やはり大きく変化しつつあるとみることができる。つまり、消費がコメ至上主義から多様化しているのと同時に、生産においてもコメ一本やりの体制から多品目への農業へと徐々にではあるが、軌道が変わりつつあるとみることができる。そしてその影響はコメの国際貿易にも及んでくると考えられる。

 それでは前述のような状況を踏まえた上で、次にそのような変化を需給曲線のグラフにおいてまとめてみたい。1960年代と1990年代とを比較することにする。但し、1960年代とは単に1960年代のみを表しているのではなく、戦前・戦後から1970年代前半頃までを含める、と本稿では解釈する。また、1990年代とは1990年代のみを意味するのではなく1980年代の後半あたりからのタイム・スパンと、本稿では解釈する。

 まず、図2-4-1は過去(1960年代から1970年代を想定)の状況を表したものである。この当時はアジアの殆どの国々が貧国であり、コメ生産は伝統的な主たる(または唯一の)農業として存在し、一方、消費においてもコメが主食で、コメの代替食品は比較的少なかった時代である。よって供給曲線(S)と需要曲線(D)は相対的に非弾力的であった。よって、国内の消費量がq、市場価格がpで均衡していたとき、海外における不作等で国際市場価格がp+aに上昇しても、その価格上昇による国内消費量の減少分と国内生産の増加分との合計(z)はあまり多くなかった。

 ところが現代(1980年代から1990年代を想定)の状況は供給においては図2-4-2にみるように、機械化や高収穫品種の導入による生産技術の発展、さらにはコメより収益性の高い他作物への切り換えなどにより、供給曲線(S)は傾きがより緩やかなものとなる。また、需要曲線(D)も同様に、食生活の多様化を反映し、緩やかな傾きに変化している。そして価格はp、一人当たり消費量はqで均衡している。このp図2-4-1のpと比較し、より安いものであり、このため発展国を中心に減反政策を実施し、図2-4-2のS'とp'にみるように、国内の農業保護のため価格を意図的に押し上げている国(例えば日本)もある。

 さて、このような状況下で市場価格が外的要因でp+aへと変化した場合、この値上りの影響による消費の減少分と生産の増加分を合計した量(z)は1960年代を想定した図2-4-1での量(z)と比較して、より大きいと推定される。

 ところで、図2-4-1図2-4-2を重ね合わせたのが図2-4-3であるが、供給曲線はSからSへ、需要曲線はDからDへとこの30年間ほどでシフトしていると考えられる。これら3つの図から言えることは、国際市場で価格がある一定のレベル(a)で上昇した場合、1960年代はzの量しか国際市場へ集まらなかったものが、1990年代はzをはるかに上回るzの量が確保できることを意味する。逆に、zの量を1960年代の国際市場において確保しようとするならば、市場価格はaの数倍も高い値上げが必要であった。よって、当時は各国とも国内市場価格の暴騰の可能性は大きかった。しかし、近年においては世界におけるコメ需給の構造は大きく変化しており、価格の暴騰の可能性は極めて小さいと言わざるを得ない。

 こうしたことはItoら(1995)がアメリカのコメ生産の供給曲線を分析した結果からも裏付けされている。その結果によると供給曲線は時代と共に大きく右へとシフトしていると同時に傾きもよりフラットになっている。つまり、現代における価格の変動は図2-4-4にみられるように60年代の状況を示しているS1から1990年代前半のS4へと供給曲線は右方向へ大きくシフトしている。つまり、近年においてはわずかな価格の変化が生産量を大きく変化させる、という状況であることを示している。専門用語を用いれば、60年代の生産状況を非弾性的であり、現代の状況をより弾性的であると言える。

 ところで、アメリカは1996年農業法を同年4月に成立させ、減反政策を排除するという画期的な政策を打ち出した。これにより、各作物の生産はより自由になったわけで、供給曲線はさらに右へとシフトしたと考えられる。生産はより敏感に価格の変動に対応するわけで、よって、市場価格はより安定の方向に向かうと考えられる。


アジアにおけるコメ消費構造の変化

 ここで再び図2-4-3に戻り、需要曲線が1960年代のDから1990年代にはDにシフトしたと考えられる点について説明を加えたい。

 一般消費者の生活がまだ豊かでなかった1960年代の時代においてコメの代替品がなかったわけではない。コメに替わるものとしてムギ、ヒエ、イモ、カッサバ、トウモロコシなどが現に利用されたわけである。しかし、このような代替物はコメの水準と比べ、かなり差のある低い水準の食料としてとらえられていた。また、一人当たりコメの消費量も当時は100s前後で、コメは主食として冠たる座を占めていた。こうした状況に、コメの価格の上昇は、社会的に大きな問題であり、消費者も敏感になるのは確かだが、多少の価格の上昇により、コメの消費を減らし、コメより水準の落ちるムギやヒエの消費を増やすことは、多少はあっても大幅に行うことはかなり困難なことであったであろう。よって、当時のデータによる計量的計測は式(2-4-1)のようなものと考えられる。


qR60=α60+βP+γY60 ----- (2-4-1)

qR60  一人当たりコメの消費量
 コメの消費者価格
Y60  一人当たり所得
α60  切片(計測値)
β及びγ  傾き(計測値)


 この中で、価格の傾き(coefficient)であるβはマイナスと想定されるが、その絶対値はかなり小さく、価格(P)が一人当たりコメ消費量(qR60)に与える影響は、極めて小さかったとみることができる。よって、計測された価格弾性値も式(2-4-2)で表されるように、絶対値は小さく、1960年代のコメの需要は多くの報告にみられるように、非弾性的であるとみられるわけである。


      P R60=β─── ----(2-4-2)       qR60
ER60  1960年代におけるコメの価格弾性値


 さて次に、近年における状況はどうか。コメの一人当たり消費量はアジアの各国において減少の傾向にあるが、これはコメが足りないということではなく、経済発展や所得の向上と共に、他の食品を多く食べるようになったからである。アジアの食生活が、洋風化の傾向にあると表現することもできよう。そのような食生活は、もはやコメが圧倒的な冠たる主食ではなく、コムギを主体としたパン類や麺類をはじめ、肉類、魚介類、酪農製品、などが食卓を飾るようになってきている状態である。そして、これらの食品は、コメに比べかつてのムギやヒエ、トウモロコシなどが一段下の水準に位置づけされていたのとは異なり、コメと同等か、もしくはコメを上回る水準のものとの印象が強い。

 こうした状況の需要を数式的に示したのが式(2-4-3)であるが、コメの消費メカニズムは、もはやコメの価格と所得だけで分析することは非合理的であり、パン・麺類、肉類・・・などの価格や消費を含んだ、総合的な分析が必要となってくる。


R90+βRRP+βRwP+βRMP+βRDP+・・・+γY90

W90W+βWRP+βWwP+βWMP+βWDP+・・・+γWY90

M90M+βMRP+βMwP+βMMP+βMDP+・・・+γMY90

D90D+βDRP+βDwP+βDMP+βDDP+・・・+γDY90

         ・                                         ・

         ・                                         ・

         ・                                         ・       ----(2-4-3)

qR60, qW60, qM60, qD60, ・・・  一人当たりコメ、パン及び麺類、肉類、酪農製品、・・・の消費者量
, PW, PM, PD, ・・・  コメ、パン及び麺類、肉類、酪農製品、・・・の消費者価格
Y90  一人当たり所得
αR, αW, αM, αD, ・・・  切片(計測値)
βii, βij  それぞれの価格に対する傾き(計測値)、但し、βiiはβRRやβNNなど自己価格に対する計測値を示し、βijはβRNやβRBなど代替(または補完)食品の価格に対する計測値をさす。
γ, γW, γM, γD, ・・・  所得に対する傾き(計測値)


 上記のような需要分析にはロッテルダム(Rotterdam)モデルや、エイズ(AIDS)モデルが、よく利用されるが、これらの計測値は、価格の傾きをとってみるとβiiとして示される自己価格の傾き(βRR,βNNなど)はマイナスで、βijとして示される傾き(βRN,βRB,βNR,など)はプラス(代替品)か、マイナス(補完品)と想定される。但し、Pのそれぞれの計測値であるβNRBR,βDRはこれまでの食生活の変化からみて、プラスと想定することができよう。そうすると、仮に、コメの消費者価格(PR90)は上昇したとすると、コメの一人当たり消費量()は減少するが、他の食品の一人当たり消費量である、W90M90D90,・・・・は増加する。ところで、一般に言われるように、一人の消費者がある一定の期間に消費できる食料の量は、ほぼ一定である。そうであれば、近年のデータをもとに測定した、βRRの絶対値は1960年代のデータをもとに測定された、βのそれより大きいと、考えなければならないであろう(式(2-4-4))。


|β|<|βRR----(2-4-4)


 このことを図2-4-4でより具体的に示したい。一消費者がある一定の期間に食べる全体の需要を、Dの需要曲線で示すことにする。1960年代においては、コメは1個人の食料摂取量の大半を占めていたので、Dにかなり近いところに、コメの需要曲線DR60が存在していたと想定される。そして、その需要曲線の傾きは、式(2-4-1)で示したDである。この傾きは、コメが食料の大半を占めることからみて、Dの傾きに近いものと考えてよいであろう。そして、価格がPとすると、一人当たりのコメ消費量はX軸上のqR60ということになる。

 さて、1990年代においては前述のように食生活が変化し、コメの消費量が、1960年代に比べて減少している。また、需要曲線の傾きも、式(2-4-3)及び(2-4-4)でみるように変化してきている。よって、1990年代のコメの需要曲線DR90は、DR60に比べ、ただ単に左へシフトしただけでなく傾きも左に回転したものとみることができる。そして、実質価格は1960年代のレベルと同じであるとすると、1990年代の一人当たり消費量はX軸上のqR90となる。

 この1990年代の均衡点における価格弾性値は、式(2-4-2)と同じように:


      P
R90=βRR─── ----(2-4-5)
      qR90


として算出されるが、式(2-4-2)の数値に比べ、|βRR|>|β|であり、かつqR60>qR90である。よって、1990年代の弾性値(ER90)と、1960年代の弾性値(ER60)との2つの弾性値を比べると

 

|ER90|>|ER60----(2-4-6)

 

という関係がみえてくる。ここであえて1990年代の価格弾性値も、1960年代の価格弾性値とあまり変わっていないという説を立てるならば、1990年代の価格が1960年代のそれに比べ、かなり低いものでなければならない。その場合であっても、需要曲線は、DR90を下方向に移動したかたちで説明され、傾きはやはり1960年代のものよりフラットであると想定される。つまり、いずれにせよ1990年代のコメの需要は、1960年代に比べ価格の変化に対し、より弾力的であると考えられる。よって、図2-4-2に示すように、価格の上昇の際には1990年代のコメ消費は、1960年代のコメ消費よりも早いスピードで少なくなり、その分だけ余剰も発生しやすくなると考えられる。その結果、国際市場において貿易量が増大するということになる。

 アジアのコメの消費傾向について、量と質の関係を表したのが図2-4-5である。1960年代は量を求めて一人当たりの消費量は増加したが、その後は質を求め、消費量は低下している。これは先の荏開津(1994)が強調したことと相容れるものである。経済力が向上し、購買力が高くなればなるほど、人はより品質の高い、より多くの種類のものを食べるようになるのであろう。


重要な変化の認識 

 本項では世界における近年のコメの需給構造の変化をとらえてみた。数十年前と現在とでは、世界のコメの需給構造も大きく変化している。よって、過去における状況が、現在にも当てはまるとは必ずしも言い切れない。日本が世界と接していく中で、各国における変化の状況を把握しておくことは不可欠である。

 本項で説明した世界のコメの需給の変化においては具体的なデータが未だ入手できず、仮説的に述べたところもある。そのような箇所は今後、具体的なデータに基づき分析していく必要がある。ただ、具体的なデータがないことを理由に、過去において報告されたものを、無条件に現在に当てはめることは避けたい。


2.5 アジアのコメ消費減退


 アジアのコメ消費減退を深刻に考えている人がこの日本に何人いるだろうか。日本のコメ消費の減少には真剣になってもアジアまで広げるとそのトーンが極端に弱まってくる。そして、それは他のアジアの人々にも同じことが言えそうである。

 Itoらが「アジアの米は下級財になりつつあるか?(Rice in Asia: Is It Becoming an Inferior Good?)」と題する論文をアメリカの学会で発表したのが今から約10年前の1988年のことである。当時、アジアの一人当たりコメ消費量はすでに日本をはじめ減少している国々もあるがやがては経済発展に伴う所得の増大で、いま消費量が増大している国々でも減少していくであろうとの仮説を唱えたのである。これが1989年には学会誌で印出版され、世界から反響を呼んだ。反対論もあった。とくにコメの国際的な研究機関である国際稲作研究所(IRRI)は強くに反論してきた。しかし、先のItoらが仮説を立てて予測した傾向は10年余を過ぎた現在でも着実に進行し、一人当たりのコメ消費量が減少している国は今や中国をはじめ増えつつあるのである。この先頭を切って1960年代初めにして減り始めた日本でさえ減少の傾向は30余年を経過した今日でも止まってはいない。

[*この邦文訳「アジアでは米は劣等財となりつつあるか?」は農林水産省の『食糧管理月報』の1994年9月号及び11月号で出版された。]

 図2-5-1はそのメカニズムを示すグラフであるが、一人当たりの購買力が増大するに従って、一人当たりのコメ消費量は初めは増加するがやがて頂点に達し、その後は減少へと進む。私たちが1985年までのデータをもとに分析した当時の段階では減少の段階に突入している国々は、日本、台湾、マレーシア、シンガポール、そしてコメの最大輸出国であるタイであった。ところが現在では図2-5-1の各国の位置に示されているように、中国、韓国、スリランカが加わっている。中国は人口12億、世界最大のコメ消費国であり、かつ人口増も国民総数からみると著しい。1990年代に入って一人当たりの消費量が落ち込んでいるために全体の消費量も1980年代半ば以降はわずかずつしか伸びてはいない。この調子で続くと全体の消費量が減少するのも時間の問題である。そして世界第二位、8億の人口を誇るインドであるが、近年中にも一人当たりのコメ消費量が減少の傾向となり、いずれ全体の消費量も減少ということになりかねない。世界の人口の4割近くを占めるこの2大国は世界のコメ消費の5割強を占めているわけであるが、この2大国においてコメの消費量が減少しはじめた状況を想像すると空恐ろしくなる。コメの国際価格が音を立てて急降下していくだろう。そうなるとコメの生産者にとっては国を問わずこれまで以上の危機に直面することになる。このような状況だけは何とかして食い止めたい。

 なぜ、コメ消費がアジアでは減っていくのか?それには多くの理由があろうが、その一つに戦後一貫して経済の発展国が欧米諸国であったため、その影響でアジアの食事が洋風化しつつあることが指摘できるのではなかろうか。発展途上国に住む人は誰でも発展国の生活にあこがれる。日本も戦後はとくにその傾向が強かった。そして、欧米の文化を食文化も含めて大いに取り入れた。そして、今や発展国になった。アジアの他の国々も状況は日本のそれと発展レベルの差こそあれ非常によく似ている。こうした状況下では世界の情報技術が発展し、欧米の情報がアジアで報道されればされるほどますます強くなっていくだろう。だからアジアのコメ消費減退の傾向はそう簡単には更正できない。日本も過去30年にわたって全国の自治体や農協を中心に、まさに国をあげて努力してきているのだが、流れを変えるだけの大きな決め手はまだない。

[*コメの消費減退に対し、別の観点からは「動物性のDES (Dietary Energy Supply =食事エネルギー供給量=国民一人一日当たり利用可能な食料をエネルギー換算したもの)は所得水準が高いほど多いけれども、植物性のDESは所得水準の中位階層でピークに達して、それよりも高い所得水準ではかえって減少するという傾向が見られる」(荏開津,1994年、p.93)ということも考えられる。]

 ところで、同じ穀物でもコムギの消費はどうなっているのであろうか。日本でも食事の洋風化が始まって久しい。ごはん食からパン食への変化も著しい。麺類が増えていることも事実である。一人当たりのコムギ消費量でみると、1985年と1993年との比較ではアジアで減っているのは北朝鮮、ミャンマー、それにベトナムだけである。その他のアジア諸国はすべて増加している(表2-5-1及び伊東(1995年)を参照)。そのような国々は熱帯地域も温帯地域も地域に関係なく増えている。皮肉なことに主要なコメ生産地であるアジアで一人当たりのコメ消費量が減少しつつある中、コムギの生産・輸出国である欧米において、コムギの一人当たり消費量は減るのではなく伸びている。コメ対コムギでみると戦後、世界の市場でコムギがコメに勝っていると言えそうである。

 それではアジアのコメとコムギの状況について両者を比較しながらもっと詳しくみてみよう。まず、食料としてのコメとコムギの関係であるが、長期的なスパンでみるとコメとコムギはお互いに代替財である。よって、空腹な状態でない限りコムギの消費が増えればコメの消費は減ることになる。これは価格の変化だけから影響を受けるものではないが、価格の影響も少なからずあるとみてよいだろう。

 そこで、まず消費量であるが、アジアのコムギ消費量は1961〜65年の5年間の平均が全体で5,550万トンであった(表2-5-2)。その時コメが1億5千万トン(精米換算)であった。コムギは1976〜80年に倍増し、また、1991〜95年までに2億1千3百万トンへと、再び倍増した。つまり、15年間ごとに倍に増えていることになる。一方、コメは増大してはいるもののその勢いは鈍く、1991〜95年でようやく3億2千2百万トンに達し30年かかってようやく倍増している状態である(図2-5-2)。これをコメ対コムギのシェアでみると両者を合わせた合計量に対し、1961〜65年はコムギは27.2%と3割にも達していなかった。ところがそれが拡大し、1991〜95年では40%に達した(図2-5-3)。この傾向が進むとコムギが50%を超え、アジアの主食はもはやコメではなくコムギの時代を迎えることになる。こうした中で、コムギの消費の増加に生産量は追いついていけず、図2-5-4から読みとれるようにアジア地域における輸入量は当然ながら増加の傾向にある。それでもコメの全消費量がわずかながらでも増えるのであればまだ弁解の余地があるが、日本、台湾、韓国をはじめマレーシアやタイでもみえ隠れしているような状況からもうかがえるように、全体の消費量が減少するという状況が一刻一刻と迫っているのである。アジア各国の歴史が何千年も続いているわけであるが、そのような現象はまさに前代未聞のことであろう。アジアで稲にそして水田開発に想像に絶するほどに力を注いできた先祖の嘆きが聞こえてくるようである。

 消費量が減るということは市場価格が低迷する方向に作用し、結果的には生産量も減るということである。アジアのコメ消費量は世界の消費量の約9割を占めているが、このアジアで消費量が減るとなると当然ながらアジアのコメ生産量は減らざるを得ない。ちなみにアジアのコメ生産は現在は世界の9割強を占めている。

 次に価格はどうか。生産量は減ったとしてもその分だけ価格が高くなれば生産者はかえって潤うことになるのではないか−とも考えられるのであるが、それでは価格でみるとどのようであろうか。もちろんその価格は、第2章の1で示したように、実質価格の変化でみなければならない。これでみると1995年前後ではコメが60前後に下落しているのに対し、コムギは90前後にまでしか下がっていない。1970年代中期の一時的な暴騰の際にはコメの値上がりが最も大きかったわけであるが、それは文字通り一時的な現象で、その後は急速に値下がりし、1980年代以降は恒常的にコメはコムギより値下がりの度合いが著しい状況である。さらにコムギが1994年から1996年にかけて大幅に上昇したにもかかわらず、コメはほぼ横バイで推移している。

 価格が値下がりする理由として主に2つある。1つには技術の向上により単収が増え(つまり、1トン当たりの生産コストが減少)、そのため生産量が増加して価格も下がる。もう一つは消費者がその品目にあまり興味を示さなくなり、価格を下げなければ一定量がさばけなくなる。価格が下がる理由が前者であれば生産者サイドにも問題はない。しかし、後者である場合は生産者サイドはその品目の生産から後退することを余儀なくされる。農産物の価格の変動は常にこれらの2つの要素を含んでいる。そこで、コメとコムギの過去40年間をみると、両方ともに技術の向上はあったことは確かだが、後者の要素がコメにとってはコムギに比べて大きい。

 このような状況をただ成るにまかせておくとどういうことになるか。まず、アジアが世界のコメの9割の生産を占めているわけだが、これが、シェアのみならず量も減少していくことになろう。そして、市場価格も、生産調整が消費減退に追いついていけず、過剰気味で推移し、価格は低迷していく。そうなるとアジアの水田が他の作物の生産に有効に変わっていけばよいが、必ずしもそううまくは推移しない。これは日本だけでなくタイなどの発展途上国でも同じである。よって全体の農業所得、及び農業資産がアジアでは減少していくことになる。アジアはモンスーンの地域が多く、それだけに水田作に適している地域が多い。アジアでもコムギの生産は伸びてはいるが、気温が高く雨の多いアジアモンスーン地域で良質のコムギを栽培するにはおのずと限界がある(Fischer,1990)。

 農業所得や農業資産額の減少は農家の倒産、農産業の縮小につながってくる。農産業は各国にとって重要な産業であり、アジア諸国において多くの人々の労働の場であり、また、食料安定供給の面からも極めて重要な産業なのである。そして、米国が重要な輸出産業として農業を位置付けていることからもうかがえように貴重な輸出産業として力を発揮できる産業でもある。そのような可能性を秘めながら、アジアのコメはこのままでは斜陽への道をひたむきに進んでいる。

 それではこの傾向をそのまま放っておいてよいのか。アジアの各国はもし農業をしっかりと支えていこうとするのであればこのコメ問題をアジア全体の農業問題としてとらえ、お互いに協力して、いま真剣に対策を考えておく必要があるだろう。


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